リーバイス 501が誕生するまで




ジーンズといえばリーバイス 501をイメージする人も多いのではないでしょうか?

それもそのはず501は現代のジーンズの元です
501が生まれてから長いですが501のデザインは現代までほぼ変わらず受け継がれ、多くの人に受け入れられています

今回はそんな501が生まれるまでのお話しをしていきましょう
今回は特別長いお話しになりそうなので、覚悟して読んでください(笑)

前回 リーバイ・ストラウス と ヤコブ・デイビス
という2人が繋がり
リベットで補強されたズボンの特許を取得し、販売して成功した
という話をしましたが
まだその時点では501は誕生していません

1873年にリベットの特許を取り、リベットで補強された丈夫なズボンを販売開始します

1873年から販売を開始したリベットで補強したリーバイスのズボンは
パテント・リベッテッド・クロージング(和訳すると、特許を取った鋲(リベット)を打った服)という謳い文句で売られました

また当時はジーンズという言葉はまだ浸透しておらず
ウエストオーバーオールズという名前のズボンでした




生産監督であるヤコブはズボンだけではなく
ジャケットやシャツ、コートなどあらゆる服をリベットで補強した商品を開発し、パテント・リベッテッド・クロージングの商品として売り出しました

また冬にデニムやキャンバス生地1枚では寒いということで裏地に毛布(ブランケット)を張った
「ブランケット・ラインド・オーバーオールズ」という商品も作り出しました
これらも1873年のことです

このブランケット・ラインド・オーバーオールズを作ったのは暖かくて良いのですが
洗濯すると表地と裏地のブランケットが別々に浮いてしまい
特にお尻のポケットはゴワゴワ感が不快ということで
裏地が浮かないように
現在まで続くリーバイスのアイコンであるアーキュエイト(弓状)ステッチを入れて
裏地の浮きを防ぐという対策をとりました

それからは
裏地のないものでもお尻のポケットに
アーキュエイトステッチが入っている事がリーバイスのアイコンになるのでした

実はこのアーキュエイトステッチは社長のリーバイの案で
ロッキー・マウンテン・イーグル(イーグル鉱山)をイメージしてデザインされたのです




そんなリーバイ直々考案のディティールが
いまだにリーバイスのズボンの一番の象徴となっています

これからもアーキュエイトステッチがなくなることは無いでしょう
現代ではただの飾りですが、裏地の浮き防止の実用目的のデザインが始まりというのはとても面白いですよね

パテント・リベッテッド・クロージングの商品は
実際に丈夫でよく売れました

話は変わりますが
この頃、今のようにズボンにベルトをつけて履く文化はありませんでした
ほとんどの人は、サスペンダーを付けて履いていました

なのでベルトを通すためのベルトループは当時はありませんでした

当時のズボンはサスペンダーをつけるためのボタンがウエスト部分に付いているものが普通でしたし
そうやってズボンをサスペンダーで吊って履くと、ウエスト部分がブカブカになる人も多く、それを嫌がる人のために
後ろに尾錠(バックルバック)が付いているのも普通でした

リーバイスがパテント・リベッテッド・クロージングのズボンを売り出した最初の1873年は
前に付いているサスペンダーボタンが2つ、後ろに2つでしたが
翌年の1874年には前のサスペンダーボタンを4つに増やしました

サスペンダーも種類があり、前側のボタンホールが1つのものと2つのものがあり
4つあれば両方つかえるという、いかにも合理的なアメリカらしい思考での変更だったようです




また
リーバイス社はコピー商品に悩んでいました

リベットを打った同じような作業ズボンがリーバイス製よりも安く売られている事が多くなりました
現代でも「パチモン」と言われるような物が沢山ありますが、昔も同じだったようですね

そんなコピー商品を売る会社に対し
特許を持っている側のリーバイスは訴訟を起こしたりもしていましたが
リーバイス社からすると迷惑なだけでめんどくさかったようです

そういうコピー品を少しでも少しでも抑制する目的で
1875年、特許の再発行を行います
再発行とは特許の範囲を拡大させたりして特許の内容をアップデートすることなのですが
この再発行をした理由はパテント・リベッテッド・クロージングは
リーバイス社のものなのだと
強く世間に知らせる目的でした

当時のリーバイス社のカタログにも1875年に特許再取得と
アピールして書かれていました

そんな感じで
他が真似するくらいによく売れており
1876年にはパテント・リベッテッド・クロージングの売り上げが
19万ドルになり、みるみる売り上げを伸ばして行きました

面白いのが、この売り上げに驚いたのはリーバイやヤコブだけではなく
リーバイの兄であるジョーナスとルイスもおったまげたのでした

サンフランシスコのリーバイス社製のパテント・リベッテッド・クロージング
とは別に
ニューヨークの兄のJ・ストラウス・ブラザーズ製のリベットで補強したズボンも出回っていたのでした、、、

1877年にリーバイス社のパテント・リベッテッド・クロージングは大きな変革がいくつもありました

1つ目は
デニム生地の仕入れ先をニューハンプシャー州にある「アモスケイグ社」というところにに一本化したのです

パテント・リベッテッド・クロージングの商品は
主に、麻の生成りキャンバス生地 と 綿のインディゴデニム
の2種類の生地で生産していて
生地の仕入れ先は様々だったのですが
徐々にキャンバスよりデニム、麻より綿の生地の人気が高まりました

生成りのキャンバス生地は色んなとこから仕入れても
色味のバラ付きがさほど気にならなかったのですが
インディゴデニムは生産工場によって色味の違いが大きく
品質を統一することが無理でした
そんなインディゴデニム生地の人気が高くなってきたので、信頼出来る仕入れ先を1社に絞ることで品質の安定を徹底しました

その頃に「XX」(ダブルエックス)という表現をリーバイス社が使いはじめています
XXとは当時の業界用語です
ダブル・エクストラ・ヘビーの通称で当時最も丈夫だった10ozのデニム生地のことです

これが今でも語り継がれるXXのはじまりなのです




2つ目は
縫い糸を金茶色の麻糸に変更したことです
これはヤコブ・デイビスの発案で
麻糸が当時最高の強度だったということと
補強のリベットの色に合わせた色にしたという粋なアイデアです
普通なら縫い目を目立たないような青色の糸を使ったりしそうですが
リベッド同様丈夫なものを使っているアピールなのか、むしろリベット同様、目立つ色を選んだと言うのは凄いですよね

現代でもジーンズはインディゴデニム生地を金茶の糸で縫製するのが当たり前で
その金茶のステッチがアクセントになり美しさを醸し出すデザインになっています

ここまで愛されるデザインを生み出す
やはりヤコブさんは凄いセンスの持ち主だったのでしょう

3つ目は
ツーホースマークの誕生でした
2頭の馬が引っ張りあっても破けないズボンの絵のことです
リーバイス社のズボンの丈夫さをアピールするイラストです

多くの人はウエストの後ろの右側についてるパッチにデザインされたものを想像すると思いますが
最初はパッチではなくフラッシャーにツーホースマークがデザインされました

フラッシャーとは、元は「ひらひらする」という意味なのですが
新品の商品に付けられた宣伝用のチラシのことです

現代でもフラッシャーは馴染み深いですが
ツーホースマークがデザインされた最初のフラッシャーは
今よく見る紙製のものではなく、油を染み込ませた丈夫な布でオイルクロスと言われるものでした
そのオイルクロスのフラッシャーにツーホースマークと一緒に
「このXXデニムが裂けることがあれば無料で新品と交換する」
と印刷されていました

実際に無料交換がどれだけあったかは知りませんが
それだけXXデニムを使いリベットで補強したズボンの丈夫さに
絶対の自信があるという最高のアピールになりました



これらの改良によりパテント・リベッテッド・クロージングの売り上げはさらに爆増しました

1880年の
パテント・リベッテッド・クロージングの売り上げは
なんと240万ドルという規模にまでなっていたのです

その上さらに驚きの事実なのですが
実はこの240万ドルという売り上げ
リーバイス社の売り上げの半分にも満たないものだったのです
どういうことかと言うと、、、
本来リーバイス社が扱っていた洋品、生地、雑貨の売り上げの方がもっとあったのです
つまりリーバイス社はパテント・リベッテッド・クロージングだけで成功したわけでは無く
やっていた全ての商売において大成功している
ガチで凄い会社へと成長していたのでした

さらにはリーバイ・ストラウスは
サンフランシスコの様々な企業に投資もしており
色んな役員や株主に名を連ねる
誰もが認める大富豪となっていたのでした

その後もリーバイス社の成長は続きます

1886年
フラッシャーに印刷されていたツーホースマークがウエストの革パッチにデザインされるようになりました
フラッシャーは購入された後、取り外されるが
革パッチは購入後、着用中もずっと付いたままで、よく目立つウエスト部分にあるので絶好の宣伝効果を発揮しました

 

そしてXXデニムを使ったリーバイス社製のズボンは
「ナンバーワン・オーバーオールズ」
という商品名になります
後の501の元になるモデルです

この「ナンバーワン・オーバーオールズ」という名称は
似たような商品が他社から安く出ていたこともあり
「リーバイス製はたしかに丈夫だが値段が高い、もっと安いリーバイス製があればな」
という声に応えて
「ナンバーツー・オーバーオールズ」
というナンバーワンのXXデニムよりも薄手の生地を使った商品を出したものと
区別するための名称でした
このナンバーツーはのちに201の元になるモデルで
ナンバーワンの革パッチの代わりに白い麻布にツーホースマークを印刷したもので
ナンバーワンの廉価版でした




そして

その後の
1890年
さらに多くの改良が施されますが

その中で
一番注目したいことが

ついに
「501」
という名称が誕生したのでした

なぜ「501」という名称になったのかということは
いまだに解明されていません

有力な説としては
この年に新たな改良品を何種類か作り
101 201 301 401 501 というように試作品に番号をつけて
採用されたのが「501」で
501の「1」はおそらく「ナンバーワンオーバーオールズ」の「ワン」から取っている
という説があります

本当の理由は分かりません

そうやって分からない事があるというミステリアスな部分も
リーバイスの面白さではないでしょうか

ちなみにこの時点での501は
現代主流の「ファイブポケット」(前2つ+ウォッチポケット+お尻2つの計5つポケットデザイン)ではありません
この頃はお尻のポケットが1つのものが主流で1890年時点でお尻のポケットは右側1つだけでした

このようにしてリーバイス社は501という名称が付くまで
これでもかというくらいに多くのアップデートを重ねました

普通に考えると
特許を持っているんだから、そんな頑張らなくても、どうせリーバイスしか作れないんだし、普通に売ってればいいじゃん
と思う人もいるでしょう

でも逆なのです
「特許」というものは「期限」があり
期限が切れると、その技術は誰もがフリーに使えるようになるのです
そしてその期限が切れるのが
501という名称が生まれた1890年

だからリーバイス社は1890年までに
必要以上とも思える改良を重ね
リーバイス製のズボンこそが最強に丈夫で最高品質のものだと
大衆に認知させることに成功したのでした

実際、特許が切れた1890年以降も
リーバイスは作業ズボンのトップを走り続けるのです

次回はそうして生まれた501のその後についてお話しします
お楽しみに