リーバイスの悲しい出来事

前回リーバイス501という名称が誕生するまでのお話しをしました




1873年にリーバイスがリベットで補強した作業ズボンを売りはじめてから
501という名称が誕生した1890年まで
この頃のジーンズ(ウエストオーバーオールズ)は
現代の私達がイメージするジーンズとはかなり違ったデザインでした

この頃のジーンズは
本当に過酷な、危険な環境で作業をするような
リアルハードワーカーが使うようなものでもありました
洋服としての美しさ、もっと砕いて言うとオシャレかどうか、ということなんて考えておらず
なによりも機能性重視であったと言えるでしょう

前回お話ししたように
リーバイスの努力のおかげで、ジーンズは徐々に多くの人に知り渡ります
その後も
時代の変化とともに
501は徐々に形を変化させていくことになります
私たちの知るジーンズの姿へと進化していくのです

501という名称が付いた1890年
それ以降
私達の知る馴染み深いジーンズの形になるまでのお話しをしたいのですが

その前に




かなり
悲しいお話しがあるのです

今回は
そんなリーバイスにとって
悲しいお話しをしていきましょう

いきなりですが
1902年9月26日
リーバイ・ストラウス が73歳で亡くなります

リーバイは死ぬまで一度も結婚することなく生涯を終えました

社長が死ぬと息子が後を継ぐというパターンが鉄板ですが
結婚をしていないので、子供も当然いませんでした

そこでリーバイス社は親戚が継ぐことになったのでした
リーバイの姉の息子4人が経営を引き継ぐことになり
今現在でもその血縁関係者がリーバイス社の株の大部分を所有する形となっています
その一族がリーバイの子孫と言われ「ハース家」であります

アメリカの最も裕福な家族ランキングにも入るくらいお金持ちな家系のようです

個人的な意見ですが、リーバイ直系の子孫がいないのはなんだか寂しい気もします
天才は子供をつくらない、と言われることがありますが
まさにそのパターンですね




そして
悲しいお知らせが続きますが
1906年
リーバイス本社のある
サンフランシスコで大地震が発生します
日本の我々なら地震がいかに恐ろしいものか説明不要だと思います

地震の揺れでリーバイス社のビルも崩壊し
同じくして発生してしまった火災により
資料なども焼けて無くなってしまったのでした

そのために
リーバイスの歴史を知りたくて
調べる人は多いのですが
このサンフランシスコ大地震以前の資料は
ほとんど残っておらず
謎に包まれた事が多いのです

現代での情報はなんでもデジタル化して保存されていることがほとんどです
インターネットクラウドに保存するのも当たり前で
たとえ災害があっても情報はどこかに残っているでしょう
ですが当時は当然パソコンやインターネットなんてありません
紙媒体での情報管理です
火災があれば一気に消滅したことは容易に想像できますね

地震により大ダメージを受けたリーバイスなのですが
さすがはリーバイス
サンフランシスコでは誰もが知る
大企業なのです

かなりのスピードで復旧に成功したようです

間違いなく被害はあったはずですが
そんな状況でも前をむいて進むリーバイスなのでした

以上リーバイスの悲しいお話しでした
いよいよ
ついに次回
501の進化のお話しをはじめます
もったいぶってすいません

お楽しみに