西部と東部 ジーンズの違いとリーバイスのジッパーフライ





よくアメリカ西部とか東部だとか
広いアメリカをそんな分け方で呼んだりします

語弊を恐れず大雑把に言うと
西部=田舎
東部=都会
という感じになります

過去の記事で詳しくお話した通り
リーバイスは西部(サンフランシスコ)発の会社です
ゴールドラッシュの波に乗って
多くのワーカー達にリーバイスのジーンズを愛用してもらいました

当然ですが
田舎である西部のほうが力仕事をする人の数も多く
ジーンズを必要とする人も多かった訳です

対して
都会的な東部ではなかなかリーバイスのジーンズは受け入れられませでした
戦後にはジーンズがファッションとしても受け入れられるようになります
その頃にリーバイスも本格的に東部の人にジーンズを売り込みたいと思っていました

ですが
なかなか上手くいきませんでした

理由はいくつかありますが
主に
リーバイスの主力商品の501は
ボタンフライであったこと
シュリンクトゥフィットを売りにしていたこと
が挙げられます

西部の労働者からは絶大な支持があったのですが
ボタンが面倒、生地が縮む、という扱いづらいものとして認知されてしまったのでした




そんな中
LEE(リー)は東部の人たちに早くから受け入れられており人気がありました

以前のお話で紹介した通り
リーはジッパーフライと防縮加工デニムを
どこよりも早く取り入れたジーンズを発売していました

都会的でスタイリッシュな考えの東部の人達にも受け入れやすかったのです

そんな状況でリーバイスが東部攻略のために出した商品が
1954年に発売した「501ZXX」です
これは今までの「501XX」のボタンフライをジッパーフライにしただけのものでした
ですがこの501ZXXには問題があり
501XX同様、生地には防縮加工がされていないため
洗うとジッパーの噛み合わせが悪くなってしまうようなものでした

当然東部攻略の武器にはなりませんでしたが
なんと10年間も501ZXXの生産は続けられました

リーバイスはジーンズを売り出した最初からずっといままで
「シュリンクトゥフィット」を売りにしています
シュリンクトゥフィットこそリーバイスの象徴でありプライドとも言えるかもしれません

リーやラングラーはいち早く防縮加工やブロークンデニムという
最先端技術を取り入れてるにもかかわらず
シュリンクトゥフィットに拘り続けたのでした

ですが結局は1961年に
防縮加工デニムを使ったジッパーフライの
「551ZXX」を発売されることになりました
シルエットも501より細めになり

東部の人にも受け入れられることになりました

ですがジッパーフライの551ZXXが発売された以降も
リーバイスの一番人気、看板商品は
シュリンクトゥフィットの「501」なのです

シュリンクトゥフィットの利点は
洗って縮ませて自分の体に合わせることで
その人だけの唯一無二のジーンズにすることができる
という事です

その魅力が今だに語り継がれ
用途は違えど、多くのマニアが防縮加工のされていないデニム生地を好むのは
リーバイスがシュリンクトゥフィットに拘り続けたからなのかもしれません



517ブーツカットジーンズはカウボーイに愛用されていない





前回ベルボトムジーンズのお話をしましたが
今回はブーツカットのお話です

ベルボトムはファッション目的で生まれたとお話しました
それは私が言わなくたって多くの方がなんとなく分かっていたと思いますが

ブーツカットはどうでしょうか

ブーツカットといえば
リーバイス「517」
を思い出すのではないでしょうか

リーバイスのジーンズで最も有名な品番を3つ挙げるなら
「501」「505」「517」
ではないでしょうか

その中でブーツカットシルエットである517は
「一番クセのある」と感じる人も多いでしょう

517は1971年に発売されました

517というブーツカットジーンズは
684や646のように極端な裾広がりではなく
ストレートジーンズの裾口を若干広げた程度で

ウエスタンブーツを履くカウボーイのために作られて
カウボーイやロデオ選手から絶大な指示を受けていた
「実用的なワークパンツ」
と思っている方も多いのではないでしょうか

イメージとしては間違っていないのかもしれませんが
若干誤解が入っています




ジーンズの歴史の中で
517の発売された1971年というのは比較的新しく
当然それ以前の方がカウボーイという職業は活発だったし
ジーンズは501のようなストレートシルエットでした

それまでリアルなカウボーイ達がどのようにジーンズを履いていたか説明しましょう
大半のカウボーイ達は
裾口をロールアップ(折り返して)させて、短めの丈で履いていました
そのほうが拍車の扱いもし易かったり、足さばきが良かったのです

←拍車

他にはウエスタンブーツにジーンズの裾を入れる
いわゆる「ブーツイン」させて履いていました

つまり何が言いたいかと言うと
くるぶしまわりにズボンがあると邪魔で支障が出るのです

競馬を見てもズボンをブーツインさせている人がほとんどのはずです

ではなぜブーツアウトさせることを前提としたようなシルエットのジーンズができたのでしょうか

ウエスタンブーツにストレートシルエットのジーンズを合わせると
ブーツの甲の高さが邪魔してジーンズの裾口がすっきり下まで下りてくれず
生地がダボつくことがあります
ですが517のようなシルエットだと、そういう問題は解消され
しっかりと裾口が下まで下りてくれてスマートで美しい足元が演出できます

ですが先ほど説明した通り
リアルなカウボーイはロールアップやブーツインさせて履いており
足の下の方までジーンズを下ろして履くことは無いですし
とてもカウボーイにとって必要だとは考えにくいでしょう




ですがカウボーイの服装が
ファッションとして流行するようになり
馬に乗らないカウボーイが増えたのです

つまりオシャレとして
カウボーイの格好をするようになったのです

馬に乗らないのでジーンズをロールアップさせて短め丈で履く必要性は無いですし
ファッションなので合理性よりも格好良さです

中途半端にブーツインなんてすると足が短く見えますし
ブーツカットは足を長く見せる効果もありますし
ブーツに合わせると裾周りもエレガントで収まりが良いです

517のフラッシャーには
「サドルマン・ブーツ・ジーンズ」
と印刷されています

カウボーイを意識して作られたのは間違いありませんが
それは
「馬に乗らないカウボーイ」
カウボーイルックのオシャレさんです

もちろんあたらしいデザインでカッコ良いものなので
リアルなカウボーイにも使われたとは思いますが

間違いなく大半は「馬に乗らないカウボーイ」に向けてのジーンズになったのです



646ベルボトムのジーンズとヒッピーの歴史





戦後のファッションのなかで
ブーツカットやベルボトムジーンズは印象の強いものではないでしょうか

日本では「ラッパズボン」なんていう言い方もありますよね

70年代に流行したヒッピーブームの記憶がある人もいてると思います

ヒッピーと言われる若者が
フレアシルエットのジーンズを履き
タイダイ染めTシャツのような派手な服を着て
中には派手な刺繍やワッペンなどの装飾をする
長髪で ヒゲを生やしている

今見ると「ヤベー奴」だが
当時もそう思っていた人は少なくなかったでしょう

今回はヒッピーやベルボトムのお話をしていきましょう




まず裾広がりのフレアシルエットのズボンはフランスから流行したとされています

1960年代後半にフランスの若者の間でフレアシルエットのズボンが流行りました
これは海軍水兵の制服「セーラーパンツ」の影響でした
1969年にはパリのデザイナーである、イヴ・サンローランが
「シティ・パンツ」というズボンを発表してました
それは股上が浅く、腰回りはフィットしていて、大きく裾に向かって広がるベルボトムシルエットで
かなり先進的な形でした
その形のズボンは世界中に広まります

リーバイスは
ベルボトムジーンズ「646」を1969年に発売しました
さらに裾が大きく広がった「684」通称「ビッグベル」もあります


ちなみに
ブーツカットジーンズ「517」を発売したのは1971年

日本でも
ビッグジョンが1969年にベルボトムジーンズを
ボブソンも1971年にベルボトムジーンズを発売しました

こうして発売されたベルボトムの
501との1番の違いとして個人的に思うのは
明らかに「ファッション目的で作られた」ということです
デザインやイメージを含めて、作業着として生まれた501とはまるで違うと言えます

ジーンズが作業着とするなら
機能性をどう考えてもベルボトムのような極端に大きな裾の広がりは不要です
これまでのジーンズのイメージとは真逆に方向転換した
画期的なジーンズと言えると思います

ジーンズは作業着ではなくオシャレ着だ!!!
ということをはっきりと主張した時代の変化をも感じることができると思います

こんなベルボトムは
「ヒッピー」のファッションアイテムとしても大流行しました

まずヒッピーとは何なのか簡単に説明しましょう

戦後、アメリカでも段々と平和になったというのはなんとなくわかると思うのですが
それと同時に現代のような「大量生産・大量消費」の社会へと変わっていく時期でもありました
多くの事が効率化され豊かになる一方で
「人間が人間らしさを失っていく」と感じる風潮もありました
そこで
「ビートジェネレーション」や「ビートニック」と言われる
作家や詩人を中心とした集団ができ
自分らしく、人間らしく生きる、ということを強く主張し、活動していました
それが1950年代のお話です




ビートジェネレーションの一人、アレン・ギンズバーグの詩の中で
ビート・ジェネレーションを指す時の肯定的な表現として「ヒップスター」ということばがあり
それが「ヒッピー」の語源です

ヒップスターの意思を継ぐ後継者
ヒップスターの次の世代
というような意味で
1960年代、ヒッピーという言葉が生まれました

ですがなんとなく学問的なイメージのビートジェネレーションとは異なり
ヒッピーは
奇抜なファッションで、大麻や覚醒剤などのドラッグを使っているような
「アウトロー」なイメージがあります

ヒッピーの思想で「自由」「平等」「博愛」ということが挙げられます
よく言う「ラブ&ピース」とはここからです

変化する時代に戸惑い
愛や自由を感じにくくなった時代でもあったのでしょう

見た目にも奇抜なヒッピーは
一部からは差別的な対象になっていました

有名な映画で「イージーライダー」
があります
ヒッピーが自由を求め旅をする話です
最後はすれ違った保守的なアメリカ人に銃殺されてしまいます

良くも悪くも目立つ存在であったのは間違いなく
日本のファッションにも絶大な影響を与えました

日本でもヒッピーファッションをした若者を
70年代によく見たことがあるのではないでしょうか!?


戦争がジーンズを世界中に拡散させた





第二次世界大戦でジーンズは世界中に広まることになります

それまではほぼアメリカでのみ使われていた作業着なのですが

以前の記事でお話した通り
戦争中ジーンズは軍事用作業着として採用されていたし
戦場に出る兵士がジーンズを着用することも多かった

ジーンズの履いた兵士と戦う各国の兵士だったり
アメリカに捕まえられ捕虜にされた人たちなど
アメリカ人の履く丈夫なジーンズを見て
凄い良いズボンだと思ったようです

戦争で世界中にジーンズの存在が広まり
使われるようになります

もちろん我らが日本でも同じで
アメリカの中古ジーンズが輸入されることからはじまり
今では世界ナンバーワンクオリティのジーンズを作れる国となっています



ジーンズのファッション化





ジーンズが今のようにカジュアルファッションになったのは
歴史の中ではごく最近と言えると思います

それは第二次世界大戦が終わり
アメリカも平和な雰囲気が戻ってきたことからはじまります

もともと作業着であるジーンズですが
戦前からも労働者ではない一部の人に使われることはありました
例えば演劇の勉強をする大学生が
稽古で激しく動いても長持ちするズボンとして使ったりしていました
その中には少なからず女性でジーンズを履いていた人もいました
ですがそういうことも超少数派で
堂々と人前で履くものではなかったのです

それが今のようにファッションになった
1番の理由に
「映画のスター俳優がジーンズを履いていた」
ということを挙げることができるでしょう

中でも有名なのが
1953年 マーロン・ブラント主演「ザ・ワイルド・ワン」
1955年 ジェームズ・ディーン主演「理由なき反抗」
があります

ファンからすると語弊があるかもしれませんが
簡単に言うと「ヤンキー(不良)映画」で
かっこいい主人公がジーンズを履いているのです

ジーンズはカウボーイや激しい力仕事をする
悪い言い方をすると「アウトロー」な人が履いているズボンというイメージがあり
不良との相性が抜群だったのでしょう

男なら誰しも「悪に憧れる」という経験はあるのではないでしょうか




一気に平和が解放されたアメリカで、それが大ヒットし
マーロンブラントやジェームズディーンの真似をする若者が急増しました

不良映画をきっかけにカジュアル化したので
もりろん不良の中では絶大な人気で
ジーンズ=不良
のイメージができてしまったくらいです

そのため学校では
校則でジーンズを禁止したり
親が子供にジーンズを履かせないようにしたりと
ある意味偏見のあるものとして認識されていました

ですがその後も
多くの俳優はもちろん
ミュージシャンやロックスター
数々の偉人にジーンズは履かれることになります

それは、衣裳としてはもちろん
スターのプライベートでも愛用されるにまで愛される存在へとなっていきました

やがて時と共にジーンズはカジュアルウェアの代表となるのでした



ラングラーの歴史②





前回ラングラーのお話しをしました
会社の成長のお話しから
11MWの誕生のお話しまでしました

今回はその続き
ラングラーには他にも面白いものがあるのです
そんなお話しをしましょう

ラングラーが11MWを発売した次に
「11MJ」
というウエスタンジャケットを発売しました
「11MJ」という名称は
「11ozデニムのメンズジャケット」の略称です

11MWがかなり異端なデザインだというお話しは前回しましたが
この11MJもかなり今までにないデザインのものだったのです

まず
袖のカフスと胸ポケットのボタンに
「ドットボタン」(スナップボタン)が採用されました
フロントのボタンはリーバイスやリー同様、ボタンホールが空いていて、打ち抜き式のボタンで作られていましたが
袖や胸ポケットにポタンの付け外しが容易なドットボタンを使い分けたのは使い易さを追求したからでしょう




そして背中には両横に2つストラップが付けられいて
リーバイスやリーよりもさらに
ウエスト周りのシルエットを好みの形に調整できたのです

前身頃にはリーバイスのようにプリーツが入っており
プリーツを止めるのに、単純なステッチではなく
縫糸で円形に纏って、リベットを打っているような見た目と効果を作りました

そして一番特殊だと思わせくれる箇所が
両肩部分に「アクションプリーツ」が採用されたのです
バイクのライダースジャケットなどによくある仕掛けなのですが
肩と腕の付け根辺りにブリーツを作ることで
腕が動かしやすくなるのです
しかもただプリーツをつけるだけではなく
裏側にゴムをつけることで
プリーツが開きっぱなしにならないように工夫されていました
これにより
フィットした着方でも動きやすく、美しい見た目もたもつことが出来たのです

このように11MJはリーバイスやリーがやっていないような仕様のジャケットをつくりました
ボタンの使い分けもアクションプリーツも
生産でかなりの手間になります

そもそもワークウエアなのですが
ワークウエアとは大量生産の作業着で
そんなに手間をかけて作るものでもありません
ラングラーのジャケットはワークウエアの中ではこれでもかというくらいに手間をかけていたのでした




1948年
「ロデオ・ベン」という
ウエスタンウェアの有名なデザイナーがデザインしたジーンズ
「13MWZ」(13ozデニム、メンズウエスタン、ジッパー使用、の略称)
が発表されます

11MWを踏襲したモデルでした

13MWZは
「世界初のデザイナージーンズ」
と言われています

13MWZからロデオ・ベンがデザインをしたとされているのですが
ラングラージーンズが発売された1947年当初からロデオ・ベンに協力してもらっていたらしく
それが意外にも好評だったので
13MWZからロデオ・ベンを前面にアピールしはじめたと言われています

ブルー・ベル社は衣裳協力に積極的で
各地ロデオ大会のスポンサーになったりもしています

ラングラーの有名商品で
「12MJZ」
という赤色のジャケットがあるのですが
実はもともと商品ではなく
ロデオ大会の優勝者に贈っていたもので
それが評判になって商品化となったのでした

よく名前が入った赤いラングラーのジャケットを見るかもしれませんが
それはロデオ大会のチャンピオンの名前です

そんな努力もありラングラージーンズは
1975年から
全米プロ・ロデオ・カウボーイ協会公認のジーンズとなっています
ロデオ選手でラングラージーンズの愛用者も多いようです



ラングラーの歴史①





以前のお話で
世界三大ジーンズブランドについて少し触れましたが
その中の一つが「ラングラー」です
ラングラージーンズはリーバイス 、リーと比べると
最も異端と言えるのではないでしょうか

ラングラージーンズを販売するまでの過程も
3社の中で一番複雑ですし

ジーンズファンでもラングラーファンは
どちらかと言うと少数派で
語られることが少ないかもしれません

リーバイス リー とは一味違ったお話しになると思いますので
お楽しみいただければ幸いです

まず
ラングラージーンズを販売している会社は
「ブルーベル」
という会社です


このブルーベルという会社は
とてつもない大きな会社で
ワークウエアを販売する会社としては世界最大の会社であった
規模だけで言うと
リーもリーバイスよりも大きかったのです

ブルーベルの元々は
1904年にC・C・ハドソンという人が興した
「ハドソン・オーバーオール・カンパニー」
という会社が最初で
数多くのワークウエアメーカーを吸収合併することで巨大企業へと成長して
1943年に「ブルーベル」という会社になりました

当時、ワークウエアメーカーの合併は珍しいことではありませんでした
時代的に軍需が減少傾向のながれなどもあって
作業着メーカーは合併せずには存続が難しかった事情があります
多くのメーカーが合併していく流れの時期だったのです




有名な例を1つ挙げると
「ボスオブザロード」「キャントンバステム」というブランドを持っていた
「エロイサー・ハイネマン社」という会社があります
ヴィンテージファンなら聞いたことのある方も多いのではないでしょうか?
1946年にH・D・リー社はこのエロイサー・ハイネマン社を吸収合併しています

話を戻して
ラングラージーンズが登場したのが1947年なのですが
もともとラングラーという名称は
ブルーベル社が吸収合併していた「ケイシージョーンズ社」が持っていたもので
「ラングラー」の商標登録自体は1905年に行われていました

ブルーベルがジーンズの販売をするにあたって
ブランド名を考えている中
いくつかの候補があって「ラングラー」が採用されたのです

「ラングラー」とは「牧童」カウボーイの意味で
ラングラーの語源がドイツ語の「wrangen」(ランゲン・骨折り仕事)ということもあり
労働着であるジーンズ
カウボーイが履くジーンズ
というイメージにぴったりでした

都合の良い名称がたまたま余ってたとも捉えることができますね

そんなラングラーが1947年に出したジーンズが
ラングラージーンズ 11MWZ
というものです

まず触れておきたいのが
デニムのズボンのことを「ジーンズ」という商品名で出したのは
このラングラーが初めてでした
これまでの話でも当たり前のように「ジーンズ」と書いていましたが
それまではリーバイスの「ウエストオーバーオールズ」などと呼ばれており
ラングラージーンズの登場以降「ジーンズ」の名称が広まっていったとされています

次に「11MW」という品番ですが
「11ozのデニム生地を使用した メンズ・ウエスタン」の略称です

この名から分かるかもしれませんが
先に言ってしまうとリーバイスよりもカウボーイなどの馬に乗る人にターゲットを絞った商品でした
リーもそうでしたがラングラーはよりカウボーイ思考強めのジーンズを開発するのです




特徴を挙げていきましょう

まずシルエットは細めでした
リーバイスよりも細めなのはもちろん
リーバイスよりも細いリーよりも細いシルエットでした
ですが
ただ細いだけではなく股上を深く、尻のカーブを大きくカットした仕立てで
立った状態でも、馬の鞍(サドル)に跨っても腰回りに過不足なくフィットするようなシルエットです

当然リベットでの補強がされていますが
「スクラッチレス・リベット」(丸鋲)を使用することで
後ろポケットにもリベットがしっかりついているのに鞍などを傷つける心配は無い使用としました

コインポケットの位置がウエストバンドの真下にくっ付いた位置に縫い付けており
激しく馬に乗っている最中でも
中のものが飛び出ない工夫がされました

ベルトループの数が7本使用です
リーバイスでは前2本 左右2本 後ろ1本 の計5本で
5本であることが通常なのですが
後ろに2本追加された形の7本で
さらにしっかりとベルトでズボンがずれない使用になることで
激しく馬に乗った時の安定性の向上をはかりました

リーバイスやリーではウエストに付けられていたパッチは
後ろポケットの右側に取り付けられました
これはリーバイス、リーよりも後発ブランドのため、どこよりもブランド名のパッチを目立たせるための工夫でしょう
最初はパッチの素材を圧縮紙で販売しましたが、あまりにも破れるので、すぐにプラスチック製のパッチへと変更になります
パッチを革ではなくプラスチックにした理由は、乗馬の際に鞍の革とくっついてしまう恐れがあったからだと言われています

もう一つ面白いことに
最初は後ろポケットにリーバイス同様のアーキュエイトステッチが入っていました
1947年にはすでにリーバイスがアーキュエイトステッチを商標登録しているので
アーキュエイトステッチが入っていた明確な理由は不明ですが
翌年の1948年には
ラングラー(wrangler)の頭文字からとった「W」のステッチにすぐ変更になった

おそらくジーンズの後ろポケットにはアーキュエイトステッチを入れるのが当たり前のように思われていたのでしょう




今回は以上です
ブルーベルという会社
ラングラーというブランド
はじめて「ジーンズ」という呼び方を使い
11MWZという異端なジーンズを世に発表したお話しでした

次回も引き続きラングラーのお話しをします
凄いのは11MWZだけではありませんし
ラングラーの面白いお話はまだまだあります

お楽しみに



LEEの歴史②〜リーライダースの誕生〜





前回に引き続き
リーのお話をしていきます

前回、リーが新しいものを出し続けるお話しをしましたが
まだまだ続きます

1924年
「カウボーイ・パンツ」
を発売します

ようやくジーンズのお話が出てきました

カウボーイパンツという名の通り
馬に乗る人にターゲットを絞ったジーンズで
カウボーイやロデオ選手の意見を重視して作った作業ズボンなのです

話がそれるのですが
「カウボーイ」と聞くと馬乗りをイメージしますが
「カウ」とは「牛」です
「馬」は「ホース」です
「ホースボーイ」じゃないのか、と思う人もいるかもしれませんが
「カウボーイ」とは「牛飼い」のことで
馬に乗って牛の世話をしていたので
馬乗り=カウボーイ というイメージが根付いたのです

話を戻しまして
カウボーイパンツの特徴として
13ozの左綾デニムを使い
リーバイスよりも細めのシルエット
というところです
この頃にはリーバイスのリベットの特許も切れているため
当然ポケット部分に補強のリベットも打たれています

デニム生地は一般的に右綾織で織られるのですが
左綾のものが採用されました
これは左綾デニム生地のほうが柔らかくなり履き心地も良く
右綾の方が硬くなるので
右綾のリーバイスとの差別化を図るために採用されたと言われています

右綾、左綾のお話しは説明が難しく
YouTubeで分かりやすく説明されている動画があるので
興味のある方はご覧ください

またシルエットも当時のリーバイスよりも細めでした

馬乗りは足と馬がよく擦れるのですが
ズボンがブカブカだと、ズボンと足が擦れてミミズ腫れになってしまうので
なるべく足にフィットしたものが好まれる傾向にあったからです

現代でも馬に乗る競技のズボンはある程度フィットしたものがほとんどで
その意味を分かっていただけると思います

リーバイスがカウボーイに履かれていなかったと思うかもしれませんが
そうではありません
やはりリーバイスは人気でカウボーイ含め全てのワーカーに支持されていました
リーバイスが圧倒的な人気であったからこそ
ターゲットを絞った作戦をとったリーが今まで生き残ったのでしょう

もう一つ誤解しないでほしいのは
リーはカウボーイしか履いていなかったわけではありません
多くのワーカーに使われていましたが
特にカウボーイ向けに、重点を置いた物づくりをしていたということです




1924年カウボーイパンツ発売直後すぐに
ディティール変更ポイントが発生します
後ろポケットのリベットを廃止することになりました

理由は馬の鞍(サドル)を傷つけるからです

リベットの代わりに糸によるカンヌキ止留めで補強されることになりました

同じような理由でリーバイスの後ろポケットリベットに隠しリベットが採用されるのが1937年
リベット自体無くなってカンヌキのみでの補強になるのが1962年
というのを考えると
かなり時代の先を行っていたとも考える事ができるのではないでしょうか

1925年
ジェルトデニムという生地を開発します
これが凄いもので
糸の撚りを通常の撚り度合いよりも多く撚ることに成功し、より密度の高い生地ができたのです
11,5ozの生地なのですが 強度は13ozと同クラスという優れものだった
パッと見はそんな丈夫そうに無く見られたのだが、実際履くとかなり丈夫で評判が良かったのである

1926年
人気商品のビブ・オーバーオールにも変更ポイントがあった
肩紐にスライド式金具がつけられ
長さを、簡単に、自由に調整できるようになりました

現代では当たり前の調整機能ですが
実はリーが最初に導入したもので
以後全く変わる事なく現代まで使われ続けることになるのです

同年
リーはもっと凄い新兵器を導入する
ズボンの前開き部分に世界で初めてファスナーを使いました
これはズボン界の中でも革命であったのは間違いないと思います
現代流通しているズボンの大半はファスナーで
ボタンのズボンは一部のマニア向けとなっているのですから

Texture of blue denim jeans with button and zip

1927年にはユニオンオールズにもファスナーを採用しました
前回紹介した画期的なユニオンオールズに
画期的なファスナーを使った
画期的すぎる商品なわけで
この商品のネーミングは
千ドルの賞金付きで一般から募集するというイベントも開催されました
販売促進効果も抜群でした
選ばれたのは「ウイジット」というという名前でした

また同じくして
現代まで人気の素材である
デニム生地の仲間で白のストライプを織り柄で表現した生地である「ヒッコリー」と「ヘリンボーン」も発表しており

新しいことを恐れず試していく自由な社風だったことが良く分かる

1928年
ヘンリー・デイビット・リー が 79歳で無くなります
もともと若い頃に結核を患ったり
敏腕社長のイメージとは逆で体の弱い方だったようで
長生き出来た方だったと言われています

世の中に残した物の種類の数で言えば
リーバイスをも超えたかもしれません

リーが無くなったのと同じ年に
サンフォライズド加工が誕生します
日本で言う「防縮加工」のことで
「サンフォード」という名前の人物が発明したことから命名されたもので
簡単に言うと、糸を予め縮めることで、製品を購入した後に洗濯しても縮まないという技術です
元々は洗っても縮まないワイシャツのために作られた技術ですが
これがデニム生地にも使われるようになります




現代の生地はほとんどに防縮加工がされており
逆に縮む生地が珍しいくらいに普及した技術です

リーバイスはいまだに防縮加工を行わない生地を使い続ける商品を出しているのに対して
リーはいち早くデニムに防縮加工を取り入れました

1931年
「スリム・ジャケット」が登場します


101J(「J」はジェルトデニムのJ)と称されることもあるし
現在では「ストームライダー」と呼ばれることも多い
当時「ウエスタンジャケット」と呼ばれたのだが
デニム生地のショート丈のジャケットを
「ジャケット」と呼んだのは
この「スリムジャケット」が初めてでした

リーバイスでもデニム生地のジャケットはずっと販売していましたが
この頃は「ジャケット」ではなく「ブラウス」と呼んでいたのです

デザイン的にもかなり優れていたと言えます

この当時にしては立体的な仕立てで
今見ても古さを全く感じない

同年代のリーバイスのデニムジャケットを比べると
通称「ファースト」と言われる形状であったが
ファーストは今見れば
悪く言うと「古臭い」
良く言うと「クラシック」
という具合に見える人が多いと思います

リーバイスがストームライダーのような
立体的な仕立てのデニムジャケットを出したのは
1962年の通称「サード」と呼ばれるものからです
このサードのデザインが現代のデニムジャケットの
基本デザインになっているのは皆さんご存知だと思います

そうやって比較すると
リーというブランドの
時代の先取りレベルは
尋常じゃないことがお分かりいただけるでしょう

タイムマシーンで未来から来たレベルで先を走っていたようにも思います

これも最強のキングであるリーバイスよりも
後発メーカーだからできた努力のたまものなのでしょう

1943年
H・D・リー・マーカンタイル社は
社名を「H・D・リー」へと変更します

同年
今ではおなじみである
リーのジーンズの後ろポケットに入っているステッチ
「レイジーS」
を採用する
これは 緩やかなS字カーブ という意味なのですが
馬の口をモチーフにデザインされたもののようです

実はレイジーSが採用されるまでは
リーバイス同様アーキュエイトステッチが入っていました

今になって
リーにアーキュエイトが入っているのは違和感しかありませんが
当時はそうでもなかったようで
ジーンズの後ろポケットにはアーキュエイトステッチがあるもの
というような感覚でした

リーだけでなくラングラーもアーキュエイトステッチを入れている時期がありました

以前のリーバイスのお話で
書きましたが色々あって
リーバイスは1943年にアーキュエイトステッチを商標登録していますので
当然それ以降他社は使えなくなりました

ここに来てようやく
私達の馴染みのあるリーのジーンズの姿になったと言えるでしょう




最後におまけのお話として
「バディ・リー」のお話しをしておきましょう
昔ながらのジーンズショップや、アメリカンな雑貨屋に置いているのを見たことのある人も多いのではないでしょうか?

リーのマスコットキャラクターなのですが
初めて登場したのは紙のカタログ上でのイラストでした
実際の人形が作られ始めたのは
1922年、百貨店に販売促進グッズとして置かれたのがはじまりです
当時のアメリカではキューピー人形が流行っていたこともあり
売ってほしいという声が多く
希望者には2ドル50セントで販売をしたのです

このバディ・リーの凄いところは
着せ替え可能で
小さいながらも実際に存在するリーのウエアを細かく作り込まれているところである
1962年に製造中止になるのですが
様々なワークウエアを身にまとうバディ・リーは可愛らしく
いまだにコレクターの間では高額で取引される人気っぷりなのです

ちなみに
バディ・リーは
男の子らしいです



LEE(リー)の歴史〜リーバイスの次に有名なジーンズブランド〜





数あるジーンズブランドの中でも
世界三大ジーンズブランド、といわれている最も有名な3ブランドがあります

リーバイス
リー
ラングラー

の3つです

ジーンズファンの中でもリーバイスファンが一番多いですが
その次はリーではないでしょうか

今回はそんなリーバイスに次ぐ
人気ジーンズブランドのリーについてのお話をさせていただきます

リー(LEE、Lee)というジーンズはリーバイス同様多くの人々が知っているジーンズブランドでしょう

ではなぜ「リー」というブランド名なのか?
それは
リーバイスという名称が創業者の名前からきているのと同様で
初代社長、創業者の
「ヘンリー・デイビット・リー」(以下、リー)
という名前からきています

1889年にできた会社で
H・D・リー・マーカンタイル社(以下、マーカンタイル社) という会社です
カンザス州サンリナで会社を設立した頃のリーの年齢は40歳
リーバイスより遅咲きで
会社としても後発です




リーバイスと同じく最初からジーンズを売っていたわけではありませんでした

最初は缶詰のフルーツなどを売って商売をしていたのです
実はアスパラガスなどの野菜や桃などの果物の缶詰はマーカンタイル社が初めて開発、販売したと言われています

ニューイングランドのバーモンド生まれのリーは
若い頃ホテルの事務員として働いた経験があり食品についての知識があったのでした

日本で「松・竹・梅」と言われるようなランク分けをするビジネススタイルの料亭があったりしますが
リーも同じようなことをしていたのでした
当時としては珍しいことで
「マザースタイル」「サマーガール」「カデット」
という三種類の銘柄を設定することで
品質最優先であることをアピールすることに成功し、大きな成果をあげました

それをきっかけにマーカンタイル社はめざましく発展し
扱う商品のジャンルも多くなりました
そのなかに作業服も含まれていたのでした

もともと他社メーカーから作業服を仕入れて
百貨店に卸す、ということをしていたのですが
メーカーが納期を守らないことが多く、取引先に迷惑をかける事件があり
社長のリーは
自社で作業着の生産をすることを決めました

そうして1911年
自社の縫製工場を作り、生産を開始しました

先に言ってしまうのですが
このリーというブランドの凄さは
これを機に
新しいこと、新しいもの
を生みだしていくところににあるのです




当時の主力商品は
8ozデニム生地のオーバーオールでした
ビブ・オーバーオール(ビブ=胸当て)とも呼ばれ
農夫や鉱夫はもちろん石炭まみれの鉄道員にも愛用者の多い製品で
作業服の製造も大成功しました

その頃のリーは当然大金持ちになっており
自家用車はもちろん、専属の運転手までいました

当時の車は
今の車より頻繁に故障したりするし
手入れが面倒なもので
運転手がメンテナンスや修理までしていました

ある日
いつものように運転手が
車の修理を自社のオーバーオールを着てやっていたところ
シャツの袖に油汚れがついてしまいました
運転手は
「袖までカバーしてくれる作業着があったらいいのにな」
と何気なくボヤいたのでした
それを見ていたリーはその何気ない「ボヤき」にビビッときたそうで

1913年
「リー・ユニオンオールズ」
という商品が発売になりました
いわゆる「ツナギ」のことで
上着とズボンをくっつけた作業服でした

これを作ったのはリーが初めてで
かなり画期的なものだったのです
ユニオンオールズを着れば、下に着ている服を汚す心配は一切ないのですから

いまやそのスタイルは多くの環境で用いられます
日本でもバイク屋さんや車の整備で着ている人をよく見るのではないでしょうか

ユニオンオールズはその実用性の高さから
やがてはじまる第一次世界大戦の軍事用作業着に採用されることにもなります

運転手の「ボヤき」のおかげで生まれたユニオンオールズです
リーは運転手によほど感謝の気持ちがあったようで
後に遺産の一部の5千ドルを運転手に贈ったのでした




1917年
マーカンタイル社は
「サタデーイブニングポスト」という有名な雑誌に
ユニオンオールズの広告を出しました
「着やすさ・便利さ・経済性」を売りにデカデカとアピールしたのですが
一流雑誌に作業服の広告を掲載したのはリーが初めてだったのである

1921年
さらに新しい商品を発売する
「ロコ・ジャケット」 である
ゆったりした前開きの丈が長めの上着で
現代では「カバーオール」と言われることの多い形のジャケットです
「ロコ」とは「ロコモーティブ・蒸気機関車」のことで
蒸気機関車は石炭を入れて蒸気をつくり走らせる、かなりハードワークをする人が必要なもので
そういう人向けに作った作業服なのでした

今回はこれまで

リーというブランドが
現代まで受け継がれるものを数多く生み出してきた事が
今回のお話しわかっていただけたと思います

ですがここで終わりではありません

ジーンズ好きなら誰もが知っている
「101」とか「ストームライダー」がまだ出てきていませんよね

まだまだリーのお話は終わりません

次回もお楽しみに!



第二次世界大戦とリーバイス501





リーバイス501の歴史で
特に有名で人気のある時期の
「大戦モデル」
と言われるものがあります

一般的には1942〜1945年の間に生産されたもののことで
他の年代のものと比べても
かなり特殊で興味深いのが「大戦モデル」なのです

大戦モデルの人気は高く
ヴィンテージの大戦モデルは超高額で取引されるし
大戦モデルをモチーフにしたジーンズは多くの
現代のアパレルブランドが売り出していている人気商品なのです

日本の人々なら説明不要で理解できると思うのですが
戦争とは多かれ少なかれ、色んな意味で極限状態になるものです

それはアメリカも同じです

良い、悪い、は置いといて
そんな極限状態の戦争から生まれるものは
数多くあります




現代では誰もが使う様になったインターネットは元々軍事目的だし
電子レンジや缶詰など
挙げればきりがないほど
多くのジャンルの製品が
軍事目的、戦争のために研究開発された技術なのです

今ではファッションとなっているオシャレな洋服も
ミリタリーウエアのデザインがあまりにも多い

それだけ戦争というものは広範囲に影響力のあるもので
もちろんジーンズにも大きな影響があったのです

前置きが長くなりましたが
今回は
その戦争の影響を受けた501のお話しをしましょう

第二次世界大戦期に作られた
リーバイス 501XXには
ロットナンバー501の前に「S」という文字が付き
「S501XX」と表記されます

このSとは 「sinplited」(簡素化)という意味です

極限状態の戦争中であったアメリカは
物資が不足していた事情から
「W・P・B」(ウォープロダクションボード・戦時製品監督局)が
ありとあらゆる製品に、こと細かく規制をだしており
必要最低限の材料で製品を作る命令を出していた

それにより501もこれまでのものよりも
コストカットを押し付けられることとなり
「簡素化」せざるおえなかったのである

ジーンズはその丈夫さが認められていて
ファティーグ(軍事用作業着)に採用されていて
規制が念入りだったらしい

有名な簡素化されたディティールを挙げていこう

○シンチバック廃止
これは前回のお話しとかぶりますが
国から不要と判断されたのでした
前回お話ししましたが
もともとあまり機能していない部分であり
困る人はほとんどいなかったようです




○スレーキ生地を余った生地で代用
ポケットの袋地のことを
「スレーキ」
というのが
一般化していますが
ジーンズのポケットに使われている
あの白い生地の名称を「スレーキ」と言います

そんなスレーキ生地も
節約すべきと判断されます

他で余ったフランネルやヘリンボーンなどを
スレーキの代用品で使ったりしていました

○リベットの材質変更、使用数の削減
銅製リベットから
鉄製の銅メッキのリベットに変更となる
特に金属は貴重だったのだろう
使用数も減らすように命令され
泣く泣くウォッチポケットのリベットを廃止することになる

鉄製のリベットは錆びやすく
ヴィンテージの大戦モデルは錆びていたりする
興味のない人からすると汚いだけだが
マニアの間ではそれが「味」だということで人気があったりするのである

○フロントボタンのコストダウン
リーバイスのボタンはリーバイスの刻印が入っているオリジナル特注製というのが常識なのだが
この時期は既製の安価な量産品に変更することになる
有名なのは、月桂樹ボタン、ドーナツボタンと言われるボタンである






○アーキュエイトステッチの廃止
今やリーバイスのトレードマークであるアーキュエイトステッチが
系の無駄遣いだと判断され禁止された

だがリーバイスはアーキュエイトステッチを諦めることが出来ず
黄色のペンキでアーキュエイトステッチを描いたのである
このアーキュエイトステッチをペンキで描くことを
「ペンキステッチ」と呼んだりするのだが
「ステッチ」とはそもそも「縫い目」のことなので
個人的に面白い言葉だと感じていて好きである

このペンキステッチには面白いエピソードが色々あります

急にペンキステッチになったため
一部の人はリーバイスの偽物だと思ったらしい
それもそうだろう
糸のアーキュエイトがペンキになってチープに見えただろうし
ウォッチポケットのリベットが打たれていなかったり
いままでの501とは別物に見えるのが普通かもしれません
それほどの節約ぶりだったのです
しかも
戦争中にはジーパンを生産していた熟練の職人が兵隊として駆り出され
人材不足もあって
未熟な職人が作ることも多く
作りや縫製面でも、以前より低レベルな製品が多く流通したのである

もう一つ
面白いエピソードがあります
当然ですがジーンズを作っていたのはリーバイスだけでは無く
皆さんご存知の「LEE」のジーンズも軍事様作業着に採用されていたのですが

不思議な話でLEEのバックポケットのステッチは禁止されなかったのでした

LEEの話も面白いのでまた別の機会にお話ししますが
実は1944年までLEEのバックポケットにはアーキュエイトステッチが入っており
同じ条件でLEEも規制を受けたにもかかわらず
LEEの大戦モデルには
しっかりと糸でアーキュエイトステッチが入っているのです

はっきりしたことは解明されていないのですが
WPBがLEEに甘かったというよりも
作業着でも高級イメージのあったリーバイスに規制を強くすることで
「あのリーバイスもここまで節約しなければいけないほど極限な状態なんだ」
と国民に認知させる
宣伝効果を狙ってのことだったと言われています




なんにしても
初代社長リーバイが考案した
大切なアーキュエイトステッチを満足に入れる事ができないリーバイス社は
さすがにムカついたのだと思います

リーバイスが生んだアーキュエイトステッチなのに
リーバイスはアーキュエイト禁止で
リーバイス以外はOKって・・・
普通に考えたらゲキオコプンプンマルでしょうね笑

1943年にアーキュエイトステッチを商標登録するのですが
商標登録するに至った理由の大きな1つだと私は思っています

そんなエピソード満載なペンキステッチは
ヴィンテージジーンズの中でもなかなか見ることはできません
そもそも大戦モデル自体が3年ほどしか生産されていないし
何十年も前のモノだし
洗濯したり履いて擦れたりすると、ペンキなのですぐ消えちゃうのです
運良く大戦モデルのヴィンテージを見つけたとしても
ペンキは完全に消えている事がほとんどで
たとえ万が一ペンキの残っている個体があったとしても
常人では買う気の失せるプレミア価格になっていることでしょう

最後に大戦モデルの生地のお話をしましょう

WPBはリーバイスのデニム生地も変更するように命令を出しています

丈夫なデニム生地を売りにしているリーバイスに対して
もっと薄手の安い生地に変更するように命令したのです

ですがなにより丈夫さを売りにして
丈夫さに対してどこよりも自信とプライドを持っているいるリーバイスです
この命令にだけはどうしても従いたく無かったのです

リベットを減らしても、ボタンを変えても、戦争で職人がいなくなっても
生地だけはコストダウンさせたく無かったのでしょう

ニューヨークのリーバイス社で働くオスカー・グローブルという優秀な社員が
ワシントンのWPBに、あきれられるほど何度も足を運び
デニム生地のコストダウン命令を撤回させたのです

「生地を薄手のものに変更するのは一見コストダウンに思えるが、実際に労働で使用して、弱い生地ですぐに破れたのでは、逆効果だ」
という理屈で説得に成功し
さらに驚きなことに
デニム生地を13.5ozのものに変更したのである
そう!
薄く軽い生地になるどころか
逆に!!
さらなる厚手の丈夫な生地になったのです

このオスカー・グローブルの働きは
デニムの歴史上ではノーベル賞に匹敵する貢献度合いではないでしょうか

という具合に
以上大戦モデルのお話ししました

大戦モデルは今回お話しした内容だけでなく
さまざまなものがあり
俗に言う「個体差」が大きいです
スレーキも通常通りのスレーキが使われているものもありますし
ボタンも付き方も様々です

興味が出た方はヴィンテージショップで探すのも楽しいと思います

探してもなかなか無いんですけどね笑




今回までずっと
ほぼほぼ
リーバイスのお話をしてきました

私もリーバイスが一番好きなので
次回もリーバイスのお話し!
といきたいところですが

今回少しだけLEEのお話も出てきました
当たり前ですが
リーバイス意外にも偉大なジーンズブランドがあるのです

リーバイスのお話しもまだまだありますが
少しおやすみして
次回は
今回少しだけお話しさせていただいた
「LEE」のお話をしていこうと思います

お楽しみに!