リーバイ・ストラウスとヤコブ・デイビスの繋がり





前回と前々回でお話しした
ズボンにリベットを打って儲けたヤコブ・デイビス

商売で大きく成功したリーバイ・ストラウス

この2人が繋がることでジーンズの歴史が大きく動きます

今回はそのリーバイさんとヤコブさんがどのように繋がったのかをお話ししていきましょう

まずリベットズボンで一発当てて儲かったヤコブさんですが
嬉しいのと同時に不安もありました
今までにあったズボンにリベットを打っただけの商品です
このアイデア自体は画期的なのですが

誰でも簡単に真似できるのです・・・

真似するのに
特別な技術がいるわけでも
莫大なコストが必要なわけでもなく
今まであったズボンに、今まであったリベットを打って補強するだけなので
真似しようと思えば誰でも簡単に真似できるのです




今はヤコブさん本人しか知らないアイデアだが、だんだんと口コミで広がり
真似されて同じようなものを作る人が増えると自分が儲からなくなると思ったヤコブさんは

特許を申請することにしました

ですが
思わぬ壁が立ちはだかります
「嫁ブロック」
です
ヤコブさんは結婚しており子供もいました
今まで商売で無数の失敗をしてきているヤコブさんです
ヤコブさんの奥さんは頑なに夫ヤコブの特許申請を許さなかったのです

それもそのはず
当時の特許申請料金が68ドル
約68万円です
3ドル(約3万円)のリベットズボン23本分の値段というもので
ヤコブ・デイビス家の家計からすると超高額で
特許を取得できたとしても上手くいくかは分からないし
過去散々失敗している夫ヤコブの信用は全くなかったのでしょう
ようやく十分に儲けたお金を無駄にするようなことは、妻からするともうコリゴリだったのでしょう




ですがヤコブさんは諦めませんでした
せっかく一発当てたこのチャンスをもっと大きくしてやるという思いで
自分で特許申請ができないなら、、、
ということで
1872年7月
実業家でお金持ちのリーバイ・ストラウスへ
「とても儲かるアイデアがあるから、私の変わりに特許を申請してくれ」
という内容の手紙を送ったのでした

実はヤコブさんがズボンを作る際に使う生地はリーバイス社から仕入れており
リーバイス社の顧客の一人がヤコブさんだったのです
取引の金額はリーバイス社からするとかなり小額でした

そんな、うっす〜い繋がりから
社長であるリーバイに直接手紙を書くのって思い切った行動ですよね

手紙の内容は
10ozキャンバス生地と9ozデニム生地で作ったズボンにリベットを打った実物と一緒に
「私が発明したリベットで補強したズボンが高額でバカ売れしてる、あなたが私の名前で特許を取ってくれたら、利権の半分をあなたにあげます」
というような内容で超長文の手紙でした
文字や文章の間違いが多いもので、ヤコブさん自信で書いたのでは無く
近所の薬屋の友達に、喋ったことを文字にしてもらったみたいです
英語の文章を書く自信がなかったみたいです

そんな感じで手紙を送るという行動も
普通の人なら、失礼では、、どうせ相手にされない
と躊躇しそうなのに
本当に送ってしまうヤコブさんに驚きますが

もっと驚きなのは
その手紙を受け取ったリーバイさんの反応です




なんと
手紙を読んで、秒で特許取得に動き出すのです
ビジネスマンとして儲かるニオイがプンプンしたのでしょう

手紙を読んですぐに返事の手紙を書き
なんとリーバイさんに手紙が届いてから1週間でヤコブさんに特許の書類にサインをさせています

そしてここからが大変で
超スピードの速攻で特許申請をするのですが
なんと
特許の申請が却下されます

理由は
それよりも先に
クツの縫い目をリベットで補強する
という特許があり
それと同じと判断されたためでした

リーバイさんはリベット補強ズボンによほどの可能性を感じたのでしょう
そこでは諦めませんでした

なんとか工夫をして何度も申請を試みて
3回、申請を却下された後に
1873年5月、ついに特許取得に至ります

約10ヶ月もかけてようやく特許取得でたのです






リーバイさんがそんなに諦めなかったは
ヤコブさんのリベット補強ズボンにそれだけ可能性を感じたという事でしょう
本当に凄い執念ですね

申請が通った理由は
「ズボンをリベットで補強する」
では無く
「ポケッの開閉部をリベットで補強する」
とすることでOKになったのでした
ズボン全体でもなく、縫い目でもなく、ポケット開閉部というピンポイントに対してのことで
ようやくOKということで

ヤコブさん個人では特許取得までここまでの知恵が出なかったかもしれませんし
リーバイに頼んで良かったと言えると思います

特許取得に予想外の時間がかかりましたが

リーバイさんはおそらくですが、ヤコブさんを相当気に入っていたのだと思います
これは私の妄想ですが
ヤコブさんのアイデアはもちろん、ヤコブ・デイビスという人物に惚れ込んでいたのだと思います




その理由として
特許取得前にも関わらず、ヤコブさんをリーバイス社の社員として雇い初めていたのです
リーバイスの新商品としてリベット補強ズボンの生産監督としてリーバイス社へ迎え入れたのですが
特許の認可が下りた1873年5月よりも早い
4月に、ヤコブさん一家揃ってリーバイス社のあるサンフランシスコへ引っ越してきているのです
リーノの家も引き払って引っ越してきているので、もっと前の時期から特許取得が決定する前からリーバイス社の社員として働く話があったのでしょう
仮に特許の認可が下りなくても、リベット補強ズボンを生産販売する予定だったと思います
このことからリーバイさんの中ではヤコブさんの作るものは売れる、という確信があったのだと思います

そうしてヤコブ・デイビスを迎え入れたリーバイス社は
リベットで補強したズボンの販売をはじめることになります
そのズボンはリーバイの予想を上回る以上にとてもよく売れました

ですがこの時点ではまだみんなが知っている501のようなジーンズはできていません

次回は501というものがどのようにできたのか
というお話しをしようと思います
お楽しみに